2012年9月4日火曜日

二重性をもつ言語~自己正当化~

ここで、私たちは改めて「価値の多様化」という状態が「個」を前提とした集団の状態を指すということに気づかなければならない。すなわち、この言語が放たれる場合、「“個”が尊重されるから“価値は多様化”し、それを認めなければ社会は“一様化”されてしまう」という暗黙の警戒心を含んでいるのである。

それは「価値の多様化」が「“個人”を主体とした社会」を正当化するための観念であることを意味する。最初に述べたように人間は「同一性」を基盤として進化してきた生き物である。差異性は「当然」の個体差として存在し、それらを強調する理由は「本来」ならばあり得ない。

「個」の差異性を強調しなければいけないのはまさに「私権の強制圧力」(私権闘争の主体は「個」である)故であり、その強調とはまさに「個」=「自分」を確立するために「他者」を否定する構造を含むこととなる。それはまさに自我の構造そのものを表し、かつその自我を助長させる(強迫観念を伴う)力を持つ。(だから私たちは「駆り立てられる」のである)

従って「価値の多様化」という言葉は他人の価値を認めると同時に、必然的に「自分の価値を否定させない」という暗黙の意味を持たせることとなる。そして「認める」という行為自体までも「個人」(当人)にまかされるため、他意見の“存在”を認めるだけで、「受け入れない」「納得しない」→聞き流すという事態も発生しかねない。

水元史樹

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