フロイトの精神構造モデルでは、人間の精神は、性衝動や攻撃性などの動物的本能である「エス(es)」、個人の理性としての自我「(ego)」、主に親から植え付けられる価値観や道徳観である「超自我(superego)」の3要素からなっており、自我がエスを制御し、さらに超自我がエス及び自我を制御する3者対立構造にあるとされています。
超自我は、自我に対する抑圧的存在として位置付けられており、「自我を強化することで健全な精神をもつ理性的な個人が実現される」とフロイトも語っているようです。
彼以降の心理学者たちも諸説を展開していますが、近代心理学の偉大な先駆者であるフロイトのこのような学説と言説が、現在の個人主義思想を支える基本認識の1つになっていると考えられます。
「“近代的”自我」は、外界と自己を峻別する自己認識機能と、エスの制御機能、さらに超自我への対抗機能をもつと考えられていますが、これらの3つの機能は全く別物であり、これらを一元的に「自我」が担っているとする点は疑問です。
この間の議論と照らし合わせれば、何もない状態から本能的衝動の制御機能が生ずると考えるより、乳児期の母子親和の快(プラス)充足を基盤とする共感機能がベースとなって、このような機能が規範意識として形成されると考える方が、より自然で正確な認識なのではないでしょうか。「理性」も、この規範意識(感覚)が観念化されたものとして説明が可能と思われます。
むしろ近代的自我の本質は、フロイト的にいえば超自我(これはこの間の議論でいえば「規範観念」にあたるでしょう)を抑圧物としてみる反(マイナス・アンチ)の性格にあるのではないかと考えられます。エスの制御機能を「規範意識」として自我と区別するならば、自我はその攻撃的性格から逆にエスに近い存在といっても良いのかも知れません。
田中素
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