個人史を振り返っても、また最近の社会の流れをみても「個人の尊厳」や「個人が原点」という教育は、結果として「文句言うな、俺の自由だ」「人に迷惑さえかけなければ何をしてもいい」等の、価値観と言うにはあまりにもお粗末なものだけを植えつけたにすぎないのではないかと痛感します。 実際、自由な個人の名のもとで、あらゆる規範や義務はどんどんないがしろにされていくばかり、その崩壊のスピードは目を覆わんばかりです。(そんな状態を作り出した中心は子供や若者達ばかりではなく、戦後教育のもとで育った大人も同様です)。 それは「本来の個人主義ではない」「個人主義の未成熟」などと識者は盛んに弁明していますが、国家と教育者総力を挙げての教育の結果がこうなわけですから、むしろ現況は個人主義教育の必然と捉えなおすべきでしょう。
おそらくこの観念は社会や相手などの対象を、もともと欠落させ捨象しているが故に、(人のために今)何をすべきかという視点をすっかり見失わせてしまうのでしょう。 個人主義の価値観は「滅私奉公」に対するアンチテーゼとして登場し、都市生活の拡大とともに浸透していきました。しかしそれは所詮アンチです。 集団や社会を人間が必要とする限り、(更には集団動物であると言う事実に立脚して)活力ある集団や社会を成立せしめる構造や仕組みを曇りのない目で見据える中、認識を組み換えていく、そのような時代的必要性を強く感じます。 |
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